知恩院の歴史
知恩院(ちおんいん)は平安時代末期、比叡山延暦寺で修行していた法然上人が43歳の時に浄土宗の開宗を決意して山からおり、現在の知恩院勢至堂付近で営んだ草庵を起源とします。 浄土宗は当時、旧勢力から攻撃され法然上人も流罪になるなど非常に困難な時代でした。法然上人死後、弟子たちが法然上人の教えを引き継いでいましたが、延暦寺の衆徒に破壊されてしまいます。その後も火災で焼失したり応仁の乱でも再び焼失してしまうことになり不遇の時代は続きました。 江戸時代に入ってから浄土宗の衆徒であった徳川家康に引き立てられてようやく現在の山門や伽藍の様子になったのです。
宗派・本尊など
別名: 知恩教院 大谷寺
宗派: 浄土宗、総本山
本尊: 阿弥陀如来
知恩院の見所
本堂『御影堂』(国宝)
徳川3代将軍、徳川家光により再建されました。
開基、法然上人の御影(みえい)をまつることから『御影堂』(みえいどう)と呼ばれます。
三門(国宝)
高さ24m、横幅50mで木造建築日本最大の三門で、京都三大門、日本三大門に数えられています。また、、華頂山の額の大きさは畳二畳以上あります。
徳川二代将軍、徳川秀忠の命で建立され、二階建ての楼上部分は仏堂になっており、非常に荘厳な雰囲気です。また昔の人の落書きがあったりして興味深いところがあります。普段非公開なので特別公開の時のみの拝観になります。
男坂
となりの女坂に対して急な上り勾配の階段です。
映画『ラストサムライ』でも舞台に使われました。
多宝塔
多宝塔とは初重平面が方形、二重平面が円形の二層塔をさし 、そのうち方5間のものを大塔といいます。(霊塔)
その他
知恩院の七不思議
『鴬張りの廊下』
御影堂から集会場、大方丈、小方丈に至る廊下はすべて鴬張りで静かに歩こうとするほど音が出ます。
『瓜生石』
知恩院が出来る前からある石で二条城に続く抜け道であるといわれています
『大杓子』
大方丈廊下の梁にある長さ2m50cm重さ30kgの巨大杓子。
『三方正面真向きの猫』
狩野信政作の猫の絵でどの方向から見ても見る人を正面から睨んでいます。
『抜け雀』
狩野信政が描いた大方丈菊の間の襖絵にはかつて数羽の雀の絵が描かれていましたが、命を得て抜け出したといわれています。
『忘れ傘』
名工、左甚五郎が魔よけの為置いています。御影堂正面軒裏の置かれている傘。御影堂建立時この辺りに棲んでいた白狐が居場所がなくなるので新しい棲居を作ってほしいと頼み、出来たお礼にこの傘を置いて行きました。
『白木の棺』
三門造営を命じられた大工の棟梁五味金右衛門が命がけで三門を作ったが、予算超過ま責任ととって自刃したそうです。三門楼上には金右衛門夫婦の二つの白木の棺がありす。
知恩院の鐘楼(重文)
日本三大鐘楼に数えられています。大晦日にNHKで毎年除夜の鐘の中継をされています。
案内
〒:605-8686
所在地:京都市東山区林下町400
℡:075-531-2111
まめ情報
近くのお店・・・・
いもぼう 平野屋本店
京都市東山区円山公園内知恩院南門前(お近くの駐車場をご利用ください)
℡:075-561-1603
営業時間:10:30~20:30(LO20:00)
定休日:年中無休
平野屋本店は300年の歴史。海老に似た唐の芋と乾物の棒鱈(ぼうだら)を炊き合わせた京都の名物「いもぼう」。
写真の料理はいもぼう膳、2520円(税込)。海老芋はだいたい11月~5月までとのことで、季節が終わると他の芋に代わります。(2012年、3月)